りのせき。




「荀侍中。」

 何名かと書簡と格闘し議論を繰り広げている最中、申し訳なさげに戸口にある人物の従者が頭を下げている。

「…将軍が。」
「…わかりました。直ぐに参りますとお伝え下さい。それとも」

 慎み深く穏やかな荀景倩の微笑が深くなる。同席した者は我が目を疑い石になった。

「一緒に連れて来るようにと仰せですか?」

 氷もここまで冷やすまいというほど低い声音で荀景倩は答えた。無論、笑顔はそのままに。





「お召しにより参上致しました。」

 荀景倩は常のように据手し頭を下げると、執務室の主は無言で自身の隣りの席を叩いた。傍らに来い、ということである。

 司馬子上は、何かと他愛のない話の相手に、荀景倩を求める事が多い。 下心もあるのだろうが、その辺りはそつなく荀景倩は振っているようだ。
 才気走った連中を周りに侍らせているせいか、気の抜いた、裏表を判断しようとしない会話となると勝手が違うらしい。
 とにかく、荀景倩を傍に置きたがる。冗談を冗談と素直に受けてくれる人間も、権力を持つと周りにいないものだ。 その点、荀景倩は人の機微に敏いのか鈍いのか、素の反応を返してくれる。それが気楽らしい。
 しかし、荀景倩は当然、室の入口で控えたままだ。一応の遠慮である。
 すると不機嫌そうに司馬子上が口を開いた。

「早く来い。お前が横に居ないと調子が悪い。愚痴の一つも言えぬわ。」
「一つお尋ねしても宜しいでしょうか?」

 荀景倩は婉然と微笑んだ。夜にしか見せないもう一つの顔を昼間魅せる時は、間違いなく激怒している、ということである。

「私が『天子』より拝命した職は何でしたでしょうか。」
「…侍中。」

 無論、天子ではなく実質は司馬一族が授けた職である。

「では、侍中の職務内容は如何?」
「………。」
「お判りでございますよね。では、御用が済んだようですので、失礼させて頂きます。」
「ちょッ…!」
「……そういえば。」

 さっさと背を向けて立ち去ろうとしたつれない貴人は思い出したように首を傾けた。その表情は司馬子上からは伺えない。

「この府内に見事な梅の樹があると自慢げにどなたか仰っていましたが、いつ見せて頂けるのでしょうね。」
「…いっ、今から!今から見せに連れて行ってやるぞ!それはもう紅の花弁が………。」

 がばっと身を起こした司馬子上が荀景倩の肩に手をかけようとしたその時。

「荀侍中ー!荀侍中はどちらにおられるかー、帝からご下問があるとの…ああ、こちらに居られましたか。ささっお早く。」
「はい、直ぐに。」

 流石に、荀景倩も苦笑しざるを得ない。 馴れないことはするものではないな、と思いつつ司馬子上の顔色を伺うと案の定、不機嫌さが増したようである。
 やれやれ、と置き去りにするこの権力者を振り返り、唇だけを動かした。今宵は満月ですよ、と。すると、覚悟しておけと返ってきた。
 意味が正確に通じたのは結構、しかし、別の難題をどう捌くか、荀景倩は今夜までの課題をまた一つ、増やしてしまった。



 司馬子上は、司馬家の総帥として国家を総覧する地位に就いたとき、荀景倩に尚書台への異動を命じた。













 魏における官職とか職責とかしっかり勉強して出直して来いと言われても仕方がないかもしれないです。 散騎侍郎と侍中の区別がつかないのですが。だってどちらも帝の侍従ですよ、ね…?(自信がない。) 真剣に今、『九品官人法の研究』と言う本を読む必要をひしひしと。
 なんだか、子上どのはいつも隣に景ちゃんを置いているイメージがありますが、よく考えたら、侍中の頃は無理だよね、という どうでもいい妄想から勢いだけでこんな話が。なんだか子上どのがどんどん情けなくなっているのは気のせいですか。