ちちをもう。




 私にとって、司馬仲達とは恩人だった。 もう、このまま埋もれて行こうと諦めていた境遇から引き上げてくれたという意味でも。 そしてその時の精神的な窮地から救ってくれたという意味でも。

 孤独には慣れていた、しかし。

 晦冥の海底で、私は溺れていたのだ、漆黒に塗り潰された憎悪の凍えた塊。
 幾重にも粧した仮面の下で、その腐臭は確実に私の心を蝕んでいた。



 眩いばかりの光明を与えられた訳ではない。

 それでも。
 たとえ幻であっても。希みを示して下さった、彼のお方は、恩人なのだ。











 吾は、荀文若を直接には知らない。

 当然だろう、学を修め起家した時には、もう禅譲という喜劇も済み、世は曹氏による魏朝の時代だった。
 前代に何があったかは知らないが、荀家の冷遇は一目瞭然だった。
 …いやそれは正確ではないか。当主たる荀長倩が天子に憎まれているのは明白。 しかし、その子息二人は厚遇されている。奥方が武帝の子女とは言え、文帝が自身の身内に酷薄な処遇を与えていることを思えば、 破格の待遇だった。

 だが、朝政に於ける力など無いに等しいにも拘わらず、荀一族との交遊を願う者は現在でも少なくない。
 吾は、その無形の影しか知らないのだ。憶測に興味はない。 事実はひとつ、令君と呼ばれた賢才が病死した、吾にとってはそれだけのことだった。



 あの猜疑の固まりのような父ですら、荀文若に対する畏敬の念を隠さない。

 景倩を見出だした時の父の喜びは如何ばかりであったのか。
 特別な玉を手中に納めたことにか。昔、同じく才を見出された恩返しか。











 私は、司馬仲達の中に父の幻影を見ていたことは否定できない。

 父のことで覚えていることはあまりに少ない。 膝の上に載せてくれたこと、奉倩と一緒に拾った子犬を、家中大騒ぎの末に飼うことを許してくれたこと、 紅葉を観に行ったこと…他愛のないことばかりだった。
 自死を選んだ父は、私の中で神聖なものになった。絶対のもの、純粋なもの、と…。

 その崇高な像を砕いた魏国に、私が何の愛着を持てると言うのだろう。

 長文先生は、心底に沈めた私の激情を危惧し、度々諭した。 如何なる確執があったとしても、荀文若は魏国の礎となったことは悔いてはいないだろう。 まして、我々は君の父上が築いた基礎の上に、法制を打ち立てつつあるのだから、と。


 頭では判っているのです、先生。でも、この精神の軋みはどうすればよいのでしょう。


 父を知らないが故に、思慕する父の姿は完璧なものとなった。
 その道の跡を辿ることはできても、共に向き合うことができない。

 子上殿や玄伯を羨んだ私は、その醜さを知っていても…二人に嫉妬した。
 長文先生は、義父ではあるが、父の姿を重ねることはなかった。 先生も、私と同じく失われた背中を追い求めていることを知っていたから。

 無論、世評から判断すれば、父と司馬仲達は全く似ていない。
 ただ、私は父と子という関係に憧れていたのだろう。 だから、司馬仲達と言葉を交わすことがあれば、素直な喜びを感じた。 立身の糸口というようなものは毛頭なく、ただただ、嬉しかった。

 だからだろうか、私には子上殿の複雑な感情が、今一つ理解できない。

 父がいる、母がいる、兄がいる…私が望んで得られぬものを総て持って何が不満なのだろうか。
 子上殿は明らかに、父たる司馬仲達を憎悪していた。 子元殿に比べれば、本質に於いて最も近い者は、互いを疎ましく思うものなのだろうか。 子元殿には無償の奉仕とも見える程に親愛の情を示されておられるというのに。











 景倩が何故あれほど己の一族を危機へと追いやった父たる荀文若に焦がれるのか、 正直なところ、正気の沙汰とは思えぬ。あれほど冷静な男が、こと、自身の父に関して表情を一変させるのは一切ではない。

 父とは、踏み台とするものでしかない。

 吾は父を尊敬はしよう。文帝を太子の時代から支え、そして信頼を勝ち取り、後継を託される程となった。 用心深く中枢に入り込んでいった才と手腕は、己には真似は出来ぬものだ。吾の現在の地位も、父在ってのものだと理解出来る。

 だが、感情は別だ。許されるならば、あの老いた父の白頭を剣で飛ばしてやりたい。
 何が、と問われれば、全てが不快なのだと答えるしかない。声が姿がその頭の中身が、全てが吾の神経を逆撫でするのだ。

 幼かった吾に、『嫌悪』という感情を教えたのは他ならぬ父であった。


 己が子に、あからさまな親愛の情を見せるような人ではない。それは司馬一族の厳格な家訓のようなものだ。 父は、祖父に呼ばれることがない限り、祖父と言葉を交わすことすら許されなかったという。
 吾はそれを、苦ともしなかった。何かを堪えている兄と違って、毎朝出仕する父の背中を何の感情も持たず見送っていた。

 兄と弟と母と。吾はそれで充分だった。

 時折、父が見せる我々を試しているのか測っているのか、あの蛇のような眼。それが耐え難かった。 何処までも追いかけてくる蛇の眼。ねっとりとした粘着質の眼がいつまでも背中に張り付いているようで、 沐浴の日には背中が赤く腫れるほどに擦っていた。


 成程、父は冷酷ではないかもやしれぬ。ただ、氏族を守るために必要な才を、自分の継嗣が備えているか見極めていたにすぎない。





 …………だから?
 ただ、それだけのことではないか。











「何故に泪が止まらぬのだ、景倩?」


「余りに憐れ、故でしょう。」


「父でもない者の死に、かほどの哭礼は縟礼に当らぬか。潁川の人士は過剰為るを忌む。玄伯の祖父も過ぎたる礼を告発したと云うではないか。」


 それでも、荀景倩は涕泣し、司馬子上は振り向くことなく酒盃を重ね続けた。










 ギブアップ…。半年以上いじってましたが、人に向ける極端な感情って難しいです。お互いの父親に対する認識のずれとか、もっと荀文若観と司馬仲達観を掘り下げたかったのですが、そもそもべんきょ不足でした。一応、司馬仲達の葬儀前後ということで。(07.07.15)