私は生きている。しかし、何時まで生きているかを知らない。
 私はいつか死ぬ。しかし、何時死ぬかを知らない。
 私は旅をしている。しかし、何時まで旅が続くかを知らない。

わたしはることはない。




 ――燉煌か、郷里から随分と遠い。

 吾士則は何の感慨も抱かなかった。只、事実を胸の内に呟いただけだ。
 統一された中華とは、思いの外、広大な領土があった。自身が命を奉じる身なれば、どのような遠隔地へなりと赴くのは当然だった。

 そうして、建平にも赴き、城を維持することはできたが、我が故国は天命に見放されたのだった。

 与えられた綬を首に掛け、黙として朊する。

 若かりし頃の大望が、熾火のようにじり、と胸を灼く。
 否、此で良い。この京師に残っていたとて、保身の術を知らぬ己には危険すぎる。



「成る程、我が気勢を削いでくれただけはある。思い描いたとおりの面構えよな。《

 宮廷を辞去し、厩舎へ足を向けたところで背後から張りのある声が掛かった。

「燉煌は難地だぞ。まあ、話くらい入ってはおろうが。《
「王大司農殿。《
「旧怨を流すと云う訳にはいかぬか。《
「……旧怨も何も、総ては時を得なかっただけのこと。吾に天意をとやかく申し上げる資格はござらん。《
「ふん、その堅物振り、中書令にはさぞ侮られたろうが。《
「吾は、問われたことに答えただけでございます。《

 どこまでも面白味のない返答に、王士治は鼻を鳴らした。白髪を流し、灰色に焼けた肌を朝朊に収めた姿を、遠目に見ることはあったが、間近で見るのは初めてだった。
 それだけに、吾士則は僅かに警戒の色を見せた。

「儂は背後から刺されぬようにするのが精一杯よ。遠来の客にまで気を回す余裕なぞないわ。《

 ――客か、確かに。

 洛陽の風は亡国の者には些か凍えすぎていた。

「船が、目の前を過ぎ去ったあの時、《

「聞きたくないわ。お互い、建平は苦い地であった。それ以上でも以下でもない。だが、一度、顔だけは拝んでおきたいと思うただけよ。《



 燉煌は難地と云う。
 中央から遥か離れているのだ、統治の網を張り巡らせるには多大の労力が必要となろう。




 魄曰く、言う者は独り何為す者ぞ、と。
 魂曰く、吾将に吾が宗に反らんとす、と。




 過去、郡太守を自ら廃し議郎が政務を牛耳ったこともあるという。涼州刺史の介入に至った経緯も、ごく簡単に耳に入った。
 反旗を翻した、という意思もないのだろう。ただ、目の届かない場所で権威を貪るうちに、一線を見極める目が曇っただけだろう。燉煌然り、益州、鮮卑……。

 ――果たして、そうなのか?

 ひとつになったが故に、撓みつつあるのではないのか。波が岩を砕くように、地平の彼方から罅割れ崩れ落ちる、音が。
 それは、予感、というものだったのだろうか。




 魄、反顧するに、魂、忽然として見えず、
 反れば而ち自ら存するも、亦以て無形に淪む。




 吾士則に、何を云うべき術があっただろうか。
 辺境から辺境へ、漂泊するように太守を歴任し、愚直のまま、去るのみだった。







 私は旅をしている。しかし、何時まで旅が続くかを知らない。












 文中の引用は『淮南子』の説山訓からです。吾士則と王士治はお互い一目置いているけど、わだかまりが残っているんじゃないかと。(09.01.25)