私は生きている。しかし、何時まで生きているかを知らない。
 私はいつか死ぬ。しかし、何時死ぬかを知らない。
 私は旅をしている。しかし、何時まで旅が続くかを知らない。

わたしはらなかった。




 急流に呑まれた様だった。

 益州平定時の混乱の爪痕は深くは無い筈であるのに、関係者は一様に口を閉ざしたまま、その事実すら洛陽では既に風化しつつある。従軍した甥は、「何が起こったか自分には理解できなかったし、したいとも思いません。」と呟いたきり、二度とその話題に触れようとはしなかった。

 荀景倩は筆に墨を含ませ、いつもと変わらぬ日常業務を開始した。尸位素餐の徒、と陰で囁かれていることは知っている。そこに、早くから司馬氏と深く繋がったことにより高位を得たことについての嫉視が含まれていることも重々承知の上だ。
 くっと喉を鳴らすしかない。魏朝の高官とは、名ばかりとはいえ欲する者はまだいるらしい。無論、魏朝の高官である以上、晋国への禅譲の暁には、位が横滑りすることは目に見えている。



 晋国か。



 急流の元凶がそこにある。

 荀景倩にとって、恩人とも云える司馬仲達は恐ろしいまでに耐え続けた。司馬子元も、最期まで焦燥はなかっただろう。
 別に二人を範とした訳ではない。荀景倩の表面に出ない姿勢は、幼き頃から身に付いた処世術に過ぎない。そして、哥達の相次ぐ早世によって自身が荀氏の長と擬せられた時も、時流の流れに右往左往する者達を横目に、早々に司馬氏を選び、魏朝から一歩身を引いたところに居た。長兄の直系が、曹氏の厚遇を受けていることも、決断を容易にしたことは否めないが……。
 一方に全てを賭けず、常に補佐の地位を甘受することで血族を永らえさせることに意味があった。そこに、理想郷への甘い期待はない。王朝への絶対的な幻想も。





 父はどうであったのか。

 荀景倩の思考は、いつもそこで停止する。
 魏国の成立を見ることなく逝った漢臣であった父と、晋国の成立を横目に、尚、心から既に離れている魏朝の臣である自分と。共通するのは、父子共に『曹魏』と相容れることはなかったという事実だけだ。





 分裂していく思考のままに、晋国を立ち上げた司馬子上の奇妙な焦燥に思いを馳せる。
 彼の者を、新王朝へと突き動かしているものは、直接には哥である司馬子元の存在であろう。誰の目から見ても、司馬子元は明確に魏朝の簒奪を志していた。では、司馬子元の父である司馬仲達はどうであったか。足跡のみをなぞれば、簒奪の意図を暴くのは難しい。では、司馬仲達はあくまで臣たることで身を慎み続ける事は可能であったか?

 ―――司馬仲達が望まぬとも、己は、担いだ、か?

 司馬子上が簒奪を望むのは、或いは、父への叛逆なのかもしれぬ。憎悪する者への鉄槌は――己の手で下すべきなのだと。これだけは子に譲ることはできぬと。
 五十年余り育み続けてきた憎悪の塊とは、どのような色容をしているのだろうか。



 清陽なる者は、薄靡として天と為り、重濁なる者は、凝滞して地と為る。
 清妙の合専するは易く、重濁の凝竭するは難し。




 筆を置くと、陽の当たる庭へ出る。蝉の声が徐々に耳鳴りの様に響き始める。空の色は既に白々としたものではなく、圧迫感を与えるような青さだった。空が落ちると杞憂した者の気持ちが、荀景倩には何故か酷く身近に思えたものだった。堕ちてくる天の重さは如何許りであろうか。薄くあろうと、清陽なる者が多い聖人の世であるならば。
 濃い青を映し出したような牽牛花が咲き乱れる。小振りの円を、白い爪先でなぞってみた。

 五十年余りの憎悪。それは確かに自分の肚の底にも積っている筈だった。
 出仕し、司馬仲達に見出されるまで、間違いなくその塊の重さを感じていた。幼帝の即位に瓦解していく朝歌を目の当たりにして、尚、その塊は重く自分の中へと沈んでいく。
 だが、まさにその憎悪が霧消するであろう魏朝の結末を間近にして、荀景倩は奇妙な空白の中にいた。



 故に天先ず成りて、地後に定まる。




 何かを忘れた気がするが、最早手遅れだということだけは判る。
 少なくとも、天より重く、濁った感情の渦は、自分の中で確固とした形を成さなかったと言う事だろうか。



「司空殿は牽牛花を愛でられますか。結構なことで。」

 仰々しく耳障りな声が背後から聞こえた。

「お互い暇だということだろう。何用か、公會。」

 抑揚のない声で少々の毒を当てた所で、当人は意にも介さないだろう。
 荀公會が閑暇とは無縁の立場にいることは、荀景倩が良く知っている。羊叔子と共に、凝らしている密議の内容が漏れることはない。決してそりが合うとは思えぬ二人故に、お互いが疑心暗鬼となっているはずだ、そのような落度を見落としはしないだろう。

 そして、少なくとも荀公會が、機密を扱い己の懐の内に収めることを、嬉々として行なっていることは解り過ぎるほど解っていた。



「秘密など握った者の勝ちですよ。」
「……お前がそれに溺れなければ、それで良い。」

 荀景倩が、微風に揺れた牽牛花を一輪、指に挟み、摘み取る。それをせせら笑いながら「さしずめ、司空殿は機を織り続ける待ち人ですかな。貴公の対岸の人が河で溺れぬことを祈りましょうか。」そう言い捨て、荀公會はその場を後にした。

 一年に一度の逢瀬のためだけに、牛を牽き続ける。
 その切なる願いは、清陽なるものになることがあるのだろうか。
 それとも、天意にとっては一年すら易き刻の流れなのだろうか。

 ―――私は、河を渡っても、合専することは叶わぬか。



 分かっていたことだ、祖廟に眠る父母や哥、弟…、彼らに孝は尽したとて、魏朝頼むに足らずと忠を捨て、荀氏のみに心血を注いだ。祖の為ならば、友も。天意を受け受禅したという王朝を拒否するなどと、浅慮の誹りを受けても仕方があるまい。
 いや、父は?

 父が、魏朝の天意を認めなかったからといって、晋国の天意を認めるとは限るまい。いや、寧ろ魏朝の禄を食みながら、為すことも無く、否、陰日向と力添えをして崩壊させようと念じてきた己を不忠と詰るであろう。

 だが、もう高きから低きへと流れる水を止めることは誰にも出来ない。
 込み上げる昏い笑いを押し殺す。我が父が為し得なかったことが誰に出来よう!成程、己は愚者故に、天の為す所を知らず、而して人を知る。小好の為に大道を塞いだのだ。
 父は。
 我が父は。

 蝉の如く、只三日の地上の為に地中に眠り続けた荀景倩は、狂的とも云える荀文若への思慕の念が、司馬子上の憎悪と何ら質に於いて変わりがない事実を、受け入れたのだった。そして、それは、己に科した責務を降ろす時期でもあった。
 彼の時は終わり、時代は新たな道化として荀公會を用意しようとしていた。






 私はいつか死ぬ。しかし、何時死ぬかを知らない。












 冒頭に引いた言葉は、ハプスブルク家のマクシミリアン一世の言葉です。ただ、耳にしたものを慌ててメモったので間違っているかもですが、リズムがいいからまあいいや。
 二ヶ月近く苦戦した割に、いろいろ詰め込もうとして、おはなしが破綻してしまいました…。父子という関係で、どうしても荀景倩と司馬子上は対比しやすいので、荀景倩の複雑な気持ちとか書きたかったのですが。荀公會との話が半端になったのが心残りです。(08.09.19)