せいおうのめ。




「聖王など、太古にしか存在しない。」

 不可思議な笑みを湛えながら…羊叔子は遥かに霞む乱立する軍旗を眺めやった。

「今の世に聖王が降臨したならば、この戦乱の大地をどのような言葉で嘆くだろうね。」

 何気なく紡いでいる言葉ではあるが、声を発しているのが羊叔子でなければ、叛意有りと見做されてもおかしくはない。 現皇帝である司馬炎ですら、徳が足りぬと言っているようなものだ。

「だけど今、この黄土に黄帝が蘇ったとしたら、私は蜀の更に南の山に隠れるだろうね。」

 よく考えてもごらん、『華胥の夢』を理想とするような皇帝など、恐ろしいじゃないか。

 一人盃を傾けながら、詠うように嘯いてみせる。さて、彼は今何に酔っているのか。
 酒というには、まだまだ量は少ない。宵の口に此処へやって来て、まだ、陽も落ち切っていない。
 花の香というには、噎せるほどにこの季節、見るも艶やかな花が咲くこともない。

 では、その『眼』が否応無しに見せてくれる、この帝国の未来か。

「誰も争わず、誰も盗まず、誰も傷付けず、…代償として、誰も自分が幸せであることを知らない。」
「皆が争い、皆が盗み、皆が傷つけ、…代価として、ほんの一時快楽を知る。」

 いつも通り、彼は自分自身に謎を掛け、酒で酩酊していくに従いそれらを忘れようとする。





 吾はそのようなことは知らぬ。
 吾はただ、天の名指すままに、此方の前に現れ山中にて待っておるだけのこと。
 瑞兆として天を翔けるために。





「……私は、天命を授かりはしたけれど、臆病者だから。」

 酔眼に吾の姿を映し、羊叔子ははにかんでみせた。下界にいては吐き出せぬ言葉の数々を、この山の土へ埋めているのか、それとも吾には聞かせようという酔狂か。

「すまないな、貴方を空に帰すことはできないよ。」

 それは謝ることではない。此方が泰山に登らぬというなら、それでよい。為す術もない生涯を見届ければ、吾は再び天からの命があるまで大地の女神に包まれ眠りに就くだけなのだ。傑物ともいえぬ、凡器に近いであろう天子を崇め、此方は何を望むのか知らぬが。

「陛下はご聡明だ。英傑でないが故に、それを自らご存知である故に、陛下は道を誤らぬと信じている。」

 受け入れるのか、すべてを。この華の大地が更に乱麻となってゆく様をその『眼』は。

「だから、それは幻だ。この大地に一人の聖王が立ち、虐げられた民を救う。それは美しい幻だ。」

 些細なことで楽しみ、笑い、気に食わないと誰かを憎み、遂げられぬ望みを前に涙を流し、それでも、大地を耕し続け、詩を歌い、酒を飲み、何時も何処かで誰かが死に誰かが生まれ、野心を燃やし或いは隠者となり。民は一つではないもの、それを束縛するような聖王は必要ない。

「少なくとも、私にはなれない。」

 そう思うならばそれでよい。ただ、吾はこの山に臥し続けるのみだ。





「私の詩くらいなら、偶に聞かせに来るよ……。」

 羊叔子が呟いて目を覚ますと、それまで玉虫色の鱗を煌かせ、金の瞳を瞬きもせずに自分を覗き込んでいた龍の姿はなく、怪訝そうな客の姿があるだけだった。遥かな軍旗の影もなく、そういえば、自分はいつも通りにこの山で酒宴をしていたのだと霞がかった頭でようやく思い出した。一体何時ごろから記憶がすり替わったのか、また夢魔に誑かされたのか。
 気まずそうに、羊叔子は髪をかき回すと、酒が過ぎたかな?と寝言として片付けてしまった。



 聖王の夢、それも統治者の夢でしかないのなら、私には不要のものです。
 それならば、生涯私は武人として国に身を捧げて悔いることはないでしょう。













 あまり小難しいことをみなとが考えるとお話が破綻するといういい例になってしまいました。
 なんというか羊叔子は、自分が死んだ後々のことまで見えていたのかなあと。晋の武帝(司馬炎)を人として理解していそうじゃないですか、常に何らかの支え(例えば呉討伐であったり、先代、先々代からの老臣であったり。)が必要な弱い人だという。
 羊叔子もなかなか捉えどころがない人ですよね、あそこまで呉討伐に執念燃やしたりするのは、若い頃からは考えられないのですが。なにがあったんだ。(06.09.22)