ながゆくさき。




 目の前に広がるのは果てのない濁流だった。対岸があるのかないのか、空と陸との境界は曖昧だった。
雲の流れは、速い。風に生暖かいものを感じ、吐息を一つ零した。


「雨に、なるかな?」


 歩いても歩いても、この大河の流れから離れることはなかった。ぼんやりとその黄色い流れを眼の端に留めつつ、 荀文若は苦笑した。


「濁流でも恵みを与えるものなのだな。」


 口に出して、その当たり前の事実に気がつく。この肥沃な土を含んだ水がどれほど疲れた大地を潤すのか。

 清流、という詞の響きは美しい。しかし、本当に澄み渡った水を知る者もまたいないのだ。 まして水ならぬ人間にあっては、混じり気のないものなどありえない。神仙でさえ、その濃い血の臭いからは逃れられない。 見たことのない清流を名乗ることは、大それたことではないのか? 我らはそれほどまでに、美しいものなのか?

 清流派の中でも筆頭に数え上げられる荀家だったが、その名から逃れるように今自分はここに立っている。
 清らかなだけでは、駄目なのだ。


 (その深い絶望が、一体どこから来たものか、その思いからは目を背けた。)

 足りないものが何なのか、荀文若は判らなかった。ただ、袁家の元でそれが得られることがないことだけは、はっきりと判った。

 どこへ向かおうとしているのか、漠とした不安はあった。それは警鐘だったのかもしれない。
 それでも、自分は流れていこうとしていた。
 自身ですら、測り切れないこの才を、その男は捌くことができるだろうか。
 麻の如く乱れるであろう天下が押し流してくる大河の暴流。その清流も濁流もその男は飲み干せるだろうか?





「…飲み込んで頂く。すべてを。」





 この、くにの、ために。
 いつか、美しくあるべき王朝の姿をこの天下が知るために。





 重く垂れ込めた昏い空から、一筋、二筋と零れ落ちてくる水滴を白い面に受けながら、荀文若は両の手を胸の前で組んだ。 灰色の大地に、何の寄る辺もなく彼は独り立ち尽くしていた。祈りを捧げるように。
 天への誓いの言葉を胸の奥に沈めながら。















 『我が子房よ!』






 流れの先に見ていた、まほろばのくにの姿が、たとえ異なるものだったとしても。
 私は、この持てる力の全てを。

 かけて。

 我が君の進むべき大河の。

 導となりましょう。










 荀文若は清流派というものに軽い反撥があったりしてとどこから湧いたのかそういう妄想が。 名家の出ながら、奥方に宦官の娘さんを迎えて、結構苦労していますよね。曹孟徳を主君としたのも、そんな複雑な心情からかなあ。 この主従も、お互い腹の中は決定的に違っていることを知っていて、あえて選んだっぽいところがおもしろいですー。(06.07.11)