ああ、この目にははっきりと映っている。
天まで焦がしつくす劫火が。
長江を沸騰させた焔が、逃げ惑う獲物を捕らえるように、その舌を貪欲に伸ばす様を。
夢現というには、熱気も、燃え落ちる陣や船の軋みも、叫び声も、自らさえも焼く火の熱さも、全てが生々しい感触だった。
行かなければ。
俺の居るべきところへ。
槍を持ち、剣と弓矢を腰にあてがい、首を、ひとつでも多くの首を。
功を立てるなどということではない。
俺が生きる場所が、そこにある。
肉の感触、血の臭い。
すべてを、喰らうのだ。啖らうのだ。
くらうのだ。
そのために俺は飼われていたのだ。いま、いかなければ。
甘興覇は目の前に飛び出してきた黒い頭に掴み掛かろうとして、その鍛え上げられた腕を伸ばした。
目に飛び込んできたのは、己の細くなった腕と、骨と血脈の浮いた手の甲だった。
汗の張り付いた着物が煩わしいが、もう、支えがなければ着替えることも叶わなくなった。そんな自分を浅ましいとも、哀れとも思わない。
空しいとか、忌々しいとか、そんな感情もどこかに消え失せて久しい。
ただ、残念だ、と。
喉の奥を僅かに震わせる。嗤おうとしたのか、家人を呼ぼうとしたのか。
くくっ。
「俺にはみえるぞ…。」
遠く、夷陵の地で、燃え盛る空が。
遠大な火計にの中で、のた打ち回る敵軍が。
「残念だ。」
その祭りに出ることができないことが。
「…残念だ。」
さぞ、出陣の酒は旨かっただろうに。
……残念だ。……
了
甘興覇は演義ではこの夷陵の戦いで戦死していますが、実際は病死…でしたよね。
いまわの際まで戦の夢を見ていそうかなあと。(06.07.11)